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2010年6月30日

ザ・てきとーマニフェスト

てきとーに思いついたり、聞きかじったことを・・。


(経済活性化策・財政改革)
・消費税は10%~15%に増税する。同時に、法人税・所得税は実行税率を30%より下げ、20%代にする。


(間接税の主体の方が景気の変動を受けにくいため財源の安定につながる。また、少子化や若者世代の所得減少にともなって直接税が増える可能性は今後見込めないため間接税主体にする。法人税が減ると企業にとっても有利なため、企業活動にとって大幅プラス。所得税が減れば、家計にもプラス。企業の国外脱出を減らしたり、海外企業を呼び込める可能性も増大する。)


・当然、消費税を引き上げると消費意欲が一時的に大幅に減退し経済をかなり冷やすため、増税と同時に一人当たり30万円程度の定額給付金を配る(夫婦、子供2人の家庭なら120万円ゲット)。財源は国債の発行などではなく、政府発行紙幣・・・つまり、お金を刷ることによって調達。デフレギャップが現在30兆円ほどある上、消費税増税によってこれが拡大するため、ある程度、大きな金額を増刷してもハイパーインフレが発生する可能性は極めて少ないので、この方法が使えるはず・・。)


なお、菅直人総理大臣の言うように消費税を上げて、その増収分を介護産業などにまわせば景気回復して万々歳・・・という理論は無理ありすぎるのでまったく使い物にならないどころか、経済の大失速だけで終わる。少なくとも、どの産業にも等しく恩恵がいきわたるような方法をとらないとまったく問題外だろう。あと、少なくとも増税と痛税感を弱める政策は同時にとらないとダメ。


・消費税は1%上がろうと、10%上がろうと、どちらにしても消費を冷やすので、毎年1%ずつ上げるということをすると経済不況が長引く恐れがあるので、上げるなら一気に上げる。


・消費税は売上1000万円を超えないとかかららない、というか商品販売時に消費税を受け取っていても収めなくても良い(益税)。これを5~6百万に引き下げる。それによって多少なりとも増収を狙う。


・直接税主体ではなく、間接税主体にするなら、今まで税金の減少を抑えるために行われていた様々な規制を大幅に緩和することができる。例えば、接待交際費はある金額を超えると税金が増える仕組みだったが、逆にある程度使わないと税金が増えるようにする。


結果、接待交際費などが大幅に増えて企業の利益が減り、結果、法人税収入が減ることになっても、消費は増えて消費税は増収となるので問題ない。お金が使われるようになるので経済の活性化にもつながる。減価償却も償却期間を大幅に減らして、企業活動にとってプラス効果を発生するように仕向ける・・といったことができる。こういったことが直接税主体をやめるとやりやすくなる。


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2009年11月 7日

あるお坊さんの説教より

自分の身近な人が死ぬと悲しい。「まだ、こんなこともしたかっただろうに」とか、「もっと、こういうことをいしてあげれば良かった。」とかいったことを考えると、ますます悲しくなる。


ただ、仏教の世界では、あの世こそ「主」の世界であり、この世、つまり現世は魂のレベルを上げるためにやってくる修行の場なのである。だからこそ、苦しいこと・つらいこと・悲しいことを数多く経験するわけであり、赤ん坊が生まれたときに大泣きするのは、今から大変な修行の生活を送らなければならないことを思って、泣くのである。死ぬとは、ようやく、苦しい修行を終えて、極楽浄土に戻ることが出来るわけであるので、実は悲しむことではなく、喜ばしいことなのである。


・・・とはいっても、人は死ぬとすぐにあの世に戻れるわけではない。49日間(7週間)、暗い道を旅しながらあの世に向かっていく。そして、途中には7つの関所があり、一週間おきにたどり着くその関所で、現世での修行の成果を問われることになる(ちなみに、閻魔大王は5番目の関所を担当しているのだそうだ。)。この旅路はかなり大変なものである。


もし、あなたが、死んだ人に「生きているうちに、もっとこんなことをしてあげれば良かった。」という気持ちをもっているなら、必ずしも仏壇やお墓の前でなくてもよいから、心の中で念仏を唱えるなり、お祈りをしてあげるなりをしてあげてください。その思いは、49日の旅を進んでいく人にとっては、非常に大きな力になりますから・・。


・・・という話を以前、お葬式のときに聞いて感心したのをふと思い出したので、書いてみました。うまいこというなあ。こういう話をしてもらえば、お葬式のとき悲しんでいる人も、ちょっと気持ちが救われるのではないでしょうか。


(今日の一言)
お墓の前や仏壇の前で、先祖に願いことをしてはならない。なぜなら、それが気になって、霊が安らかに眠ることが出来ないからである。


(関連記事)
・生きるということ
・人間、苦しいときほど・・・
・心の栄養


2009年4月18日

正しいか正しくないかよりも・・・

物事を判断するとき、正しいか正しくないかで判断すると、意外と結論がまとまらなかったり、的が外れた結論になることが少なくない。


「女性は結婚したら家庭を守るべきで、外で働いたりするべきではない!」という理屈は昔は正しかったけれど、今、こんなことを言ったら殺されてしまう・・・ぐらい暴論となってしまう。


今、アメリカは「タリバン許せん!」といっているが、昔、ソ連がアフガンに侵攻した際には、大量に武器を供給し、立派な抵抗者・英雄達として扱っていたわけで、時代が変わると同じ相手が英雄になったり極悪人になったりしてしまう。


正しいか正しくないかはその時代や国・地域、文化、道徳観等によって正しくなったり、間違ったりするので、そのときは正しいと思ったことも、別の人が見れば大きな間違いに見えたり、後になってとてつもない誤判断という結論になったりする。意外と、ずれやすいものなのである。


なので、難しい判断をしなければならないときは、「正しいか正しくないか」で判断するより、「得か、損か」「面白いか、面白くないか」といった基準で判断した方が、結果的に意外とあとから見て正しい判断をしていることが少なくなかったりするので、良いかもしれない。


「女性は結婚したら家庭を守るべきで、外で働いたりするべきではない!」という話を道徳観などから正しいか正しくないかで判断しようとすると人によってバラバラな結論になってしまうが、「得か損か」で考えると、昔はそちらの方が得だったけれど、今は共働きをする方がメリットがあるので、女性も働いた方が良いという結論になるため、意見がまとまりやすくなる。


靖国神社に政治家が参拝するのは正しいか正しくかないかを言い出すと、延々と議論がまとまらないが、「日本という国にとって損か得か」「その行為をすることによって、面白くなるかならないのか」といった基準で考えると、意外と結論が見えてくるような気がする。


自動車は年間1万人近い死傷者を出し、100万人近い怪我人をだす凶器だが、だから廃止しようと言う話にならないのは、そのデメリットを遥かに上回るメリットが存在するからである。得か損かで言えば、ある方が得である。車が存在する方が面白いのか面白くないのかで言えば、ある方が現在は面白いのである。


議論がまとまらず、答えを出しにくい場合には、このように「正しいか正しくないか」で判断するよりも、「得か損か」「面白いか面白くないか」といった基準で判断した方が結果的に上手くいくことが少なくない。


覚えておくと、きっと難しい判断をしなければならないとき、何かの役に立つのではないでしょうか。


(今日の一言)
歴史的に見て、善と悪が対決したときではなく、どちらも自分達が正義だと言い張ってぶつかるときや、片方が自分の正義を相手に一方的に押し付けるときに、大戦争や大虐殺が行われている。


「正しい正しくない」という判断基準は、人を攻撃的にしたり、対立を生み出しやすくする。また、そこまでして押し付けた正義が、後の世や、他の立場の人から見たときに、全く正義ではなくなることが少なくないということが多々ある。


もうすこし別の判断基準を持っていることは、非常に重要だと思います。


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