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2004年10月30日

忠臣蔵の裏話

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そういえば、またまた忠臣蔵がやたらとテレビに登場する時期になってまいりましたね。
 
毎年毎年、飽きもせずに関連ドラマを放映しているところを見ると、やっぱり、あの話は人気なのでしょう。
 
でも、実は私、かなり前から「忠臣蔵」には感情移入できなくなっています。なぜならば、中学生ぐらいのときに、「逆(さかさ)・日本史」という本を読んで、「忠臣蔵」は大部分が作られた話だということを知ってしまったからです。
 


例えば、有名な松の廊下で切りつけるシーン。なんでも、アレ、本当は白い障子の廊下で斬りつけたのだそうです。でも、歌舞伎など演劇で演じる際に、それではあまりにも舞台が栄えないので「松の廊下」で斬ったことにしたら、いつの間にか史実として語られるようになったのだそうです。
 
また、討ち入った浪士の数も一般に47人だったことになっていますが、実際には46人だったとのこと。いろは47文字の歌にあわせるために、無理やり架空の人物を一人つくったのだそうです。
 
このように、「忠臣蔵」の話はかなり史実とは違う話で構成されています。事件から7年ほど経って、初めて演劇など舞台用に話が作られたといいますから、それも仕方がないことなのかもしれませんがね・・。
 
その他にも、
 
・赤穂藩の浅野長矩が逆上して吉良上野介に斬りつけた理由は、一般に吉良上野介が性格が悪くていじめをしたからだと言われているが、実は産業が米作りしかなかった浅野家のほうが頭を下げて吉良家から「塩の製造方法」を教えてもらったのに、その塩を使って江戸でNo.1シェアだった吉良家から市場を奪ったことが本当の原因だった。
 
・赤穂藩の家臣はたくさんいたはずなのに、結局、最終的に50人弱しか討ち入りに参加しなかったのは、主君思いの人が少なかったからではなく、単に再就職できずにストレスを溜め込んでいたメンバーがそれぐらいの人数だったため。
 
・忠臣蔵が人気になった理由は、「主君の仇討ち」という日本人が好むお涙頂戴の話だったから、というだけではなく、「生類憐みの令」など庶民への厳しい統制がしかれているときに、お上が定めたルールを破って仇討ちをしたことに、多くの人が自分の不満をかわりにぶちまけてくれたと感じたから。
 
などといった話があります。
 
 
・・・さて、これをあえて現代風に言い換えてみましょう。すると、産業が貧弱で貧乏だった中国人をみかねて、研修生などをどんどん入れていたら、いつのまにか自分たちの立場を脅かすほどに成長したため、セーフガードなどを発動して規制をかけたら、逆ギレして攻撃されてしまった、みたいな話だといえなくもないわけですね。(この場合、日本が吉良上野介、中国が赤穂藩の人間)。全然、あだ討ちとは関係のない人間くさい、よくある話になってしまいます。
 
 
 
このように、もっともらしく語られている話が実は、全然事実と違っている、ということはよくあります。最近、新聞などに登場する記事が、かなり事実と違ったり、自分たちの都合のよいように捻じ曲げられていたりするために、ブロガーなど様々な人からツッコまれていることがよくありますが、こういう歴史上の話や物語も実は結構作られた話が多いわけです。
 
 
ただ・・・あまり、事実を知りすぎていると、せっかくのお話にも感情移入ができなくなるので、それもいいんだか悪いんだか、わかりません。いろいろなことを知りすぎているものそれはそれで問題ありなのかもしれませんね・・・。
 
 
(今日の一言)
あ。  またしてもマーケティングと関係のない話ばかり増えている・・・。


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